今回は驢馬家ストーリー番外編を全1回でお届けします。

東銀座の小さな弁当店「ほっこり弁当」はその日、一段とにぎやかだった。
2号店の店長を任せられたため、1号店にはしばらく顔を出していなかった折賀斉衡(おれがさいこう)が久しぶりに1号店にやってきたのだ。
「折賀さん、お久しぶりですー。今日は打ち合わせ?」
折賀とかつて一緒に働いていた、アルバイトの比屈菜乃(ひくつなの)が声を掛ける。
「うん、ゆみさんとちょっとお話が……」と折賀が言いかけたちょうどそのとき、
「あ、折賀さん、こっちこっち」
と「ほっこり弁当」オーナーの驢馬ゆみ(ろばゆみ)が手招きした。
比屈が休憩室でお茶を飲んでいると、打ち合わせを終えた折賀とゆみが入ってくる。比屈はふたりにお茶を入れ、お茶請けのおかきを出すと、3人は雑談タイムに突入した。
「最近ねえ、もう腰痛がひどくてね」とゆみが言う。「腰にベルト?サポーターっていうの?つけたりしてるんだけど、改善しないのよね」
「大丈夫ですか?」と比屈が聞く。
「年だからね、仕方ないとは思うんだけど」
「ストレッチとかが効くんでしょうか。あ、そういえば、えみりこさんがYouTubeでストレッチチャンネル始めたの、知ってます?」
「え?えみりこさんが?」
二人の会話を横から聞いていた折賀は、えみりこの名前を聞いてつい声を上げてしまいそうになったが、なんとか反応を抑えるのに成功した。
「ほらほら、これ。えみりこさんとLINEでやりとりしていて、教えてもらったんです」
折賀の入院中、えみりこが人手不足の「ほっこり弁当」のヘルプに入ってくれたときに、比屈はえみりことLINEのやりとりを始めたのだという。
ゆみは、比屈の携帯でえみりこの動画を見ながら、
「椅子に座りながらできる腰痛体操もあるのね。やってみようかな」
とさっそく体操を試し始める。
折賀もえみりこの動画を観てみたくて仕方なかったが、必死に無関心を装い、おかきを囓ってみるなどした。そんな折賀に比屈が、
「折賀さんもやってみましょうよ!」
と声を掛ける。折賀は「自分は腰痛体操に興味があるだけですよ」というふうに装いながら、えみりこの動画を観た。
……やはりかわいい。付き合っていた(と思っていたのは自分だけだったということが後で判明したわけだが)頃と変わらず、いや、紺須田男(こんすたお)の呪縛から逃れられたからか、表情がさらに明るくなっていて、携帯の画面越しでも輝きを放っているように見えた。
「かわ……」
うっかり口に出しそうになってしまい、折賀は慌てて
「簡単そうに見えて結構良い運動になりますね、これ」
と言い直した。
「そうよね。こういう体操を地道に続けていくのがいいのかもね」とゆみ。
そのとき、比屈が突然、
「そうだ。3人で体操している様子、撮影してえみりこさんに送りません?」と言い出す。
「面白そう。やろうやろう」とゆみが乗り気な中、折賀は慌てて、
「いや、俺は……」
と拒もうとした。
「だめです!3人で並んでやるのがいいんだから!ほら撮影しますよー」
といつも控えめな比屈がなぜかプッシュするので、強引に拒絶するのも不自然かと、しぶしぶ折賀も加わり、3人で体操をすることになった。
実際やり始めてみると、3人が真面目な顔をしながら足を組んでストレッチをしている様子がシュールで、折賀は笑いをこらえるはめになった。比屈は携帯を近くに置いて撮影し、短い動画をメッセージに添付してえみりこに送信した。
「あ、えみりこさんからもう返信来た!」
「なんて言ってるの?」
「『ウケる。ぜひショート動画に使わせてー』ですって」
「いや勘弁……」と小声で言いかけた折賀にかぶせるように、
「え?私たちYouTubeデビュー?ぜひぜひ!って返信して」とゆみがうれしそうに答える。
折賀が何か言いたそうにしていることに気づいたのか、比屈は、
「大丈夫ですよ、こんなおばさん・おじさんの動画なんて身内以外誰も観ませんから。えみりこさんの動画チャンネルも登録者数少ないですし。安心して」となだめてきた。
「いやそれなら……」
「アップされたら娘にも教えるわ」
ゆみは終始ご機嫌だった。
* * *
「まさかね」
「まさかのまさかでしたね」
数日後、1号店でゆみと比屈は顔を見合わせた。
「ほっこり弁当」の常連客が比屈に教えてくれたのだが、ショート動画の視聴数が意外に伸びているのだという。「観ていてほっこりする」、「なぜかクセになる」などとというコメントがつき、えみりこのチャンネルの登録者数も増えているようだった。その常連客も「おすすめとして流れてきた動画に『ほっこり弁当』の人たちが出てきてびっくりした」と言っていた。
「それで、えみりこさんが、『別の体操もやってみません?』と言ってきているんですが……」
「あの体操、地味に腰に効いているみたいだし、私はいいんだけど。折賀さんはあんまり乗り気じゃなかったみたいよね」
「私たちで押し切った感じでしたもんね。一応聞いてみますね」
比屈は2号店にいる折賀にメッセージを送る。
返信がすぐに来たようで、
「あれ?意外……」とつぶやいた。
「もしかして折賀さんも乗り気?」
「ええ、こちらが大丈夫なら、今日の夜にでも撮影しに来るって言ってます」
「なんだかやる気まんまんみたいね?よし今晩撮影しましょう!」
その夜、やってきた折賀にゆみは聞いてみた。
「折賀さん、なんで2本目撮影にもOK出したの?最初はしぶしぶだったでしょ?」
「ばれてましたか」と頭をかく折賀。
「再生回数回ったから欲出てきたとか?」
「いや、別れた妻から久しぶりに電話が掛かってきて、息子が動画観てるって言われて……」
「そば屋を潰した後に離婚された奥さん?」とゆみ。
「折賀さん、息子さんいたんですね!」と比屈。
「ええ、音信不通だったんですが、『親父がYouTubeに出てる』って息子の方から元妻に言ってきたそうなんです」
「横暴な父親で嫌われてたと言ってたよね?」とゆみが聞くと、
「そうなんです。でも、元妻が言うには、『表情が優しげになってるし、職場の人に仲良くしてもらってるみたいで良かった』って。『よろしく伝えておいてよ』って……」と折賀が感極まったように言った。
「良かったね」
「息子さんが観てるから乗り気なんですね。それなら、えみりこさんに頼んで私たちの動画、シリーズ化してもらいましょうよ」
「いや、ビギナーズラックなんてそんなに続かないでしょうし、えみりこさんはえみりこさんのやりたいことがあると思いますんで、こちらからお願いするのはどうかと」と折賀。
「でもまあ2本目はえみりこさんからのリクエストなんだし、撮影しましょう」
3人は腰痛体操の動画を撮影し(今回は3人揃ってひねりを加えるポーズがおかしく、折賀は噴きだしてしまった)、えみりこに送信した。えみりこからは「途中で笑っているのも面白いのでOK!明日にまた動画上げます」という返信が来た。
* * *
折賀の「ビギナーズラック」という言葉は正しく、2本目の動画は1本目ほどバズることはなかったが、えみりこのツボにはまったらしく、腰痛体操の新作が出るタイミングで、3人が定期的に動画に登場することになった。準レギュラー扱いである。短い時間ではあるが、「ほっこり弁当」の宣伝もさせてもらえるということで、3人は喜んだ。
その後、動画撮影で折賀が1号店にやってきたとき、ゆみは、
「ひとりで黙々と体操やっていると飽きちゃうんだけど、動画撮影で3人でやると楽しいから続けられるわ」と言った。
「最近は腰痛どうですか?」と折賀。
「だんだん軽くなってきたような気がする。ストレッチのおかげか、体も柔らかくなってきたみたいだし。継続って大事よね」
「ところで、折賀さんは、えみりこさんへのわだかまりなくなりました?」と比屈が聞く。
「わだかまり、というか少し未練があったんだけど、いや正直、未練たらたらだったんだけど。動画撮影の話でやりとりしているうちに、ふっきれたというか、やっと友人みたいになれたというか……」
と折賀は今の正直な気持ちを明かした。ゆみも比屈もうなずきながら聞いている。
「ちょっと気になってたのよ、折賀さん、息子さんのために動画に出てくれているけど、えみりこさんとはいろいろあったでしょ?まだ気持ちが消化できてないんじゃないかって」とゆみ。
「でもやせ我慢というか、かっこつけちゃったんで、これからも年上の友人ということでいきますよ」と折賀。
「かっこいいね。そうだ。えみりこさんはヘルプに入ってもらったし、お店の宣伝でもお世話になっているから、今度スペシャル弁当差し入れしましょう」とゆみが言うと、折賀も乗り気で、
「メニュー考えますか」と言う。
比屈は比屈で、
「私もメニューのアイデアあるんです、聞いてもらえますか?」と提案する。
「ほっこり弁当」は今日もにぎやかだ。これまでと違うのは、ストレッチや体操を取り入れることで、少しばかり健康的な環境になったということだった。